ヘミソフィア

補完ブログ

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Psyche3---ひつじの陰謀とぼく

 家に着く頃には森も薄暗くなり始めていた。もうすぐ冬が来るのか、日が落ちるのが早い。羊もお腹一杯だから早く休みたいのか、自分から囲いの中に入っていく。羊が囲いの中にちゃんと入ったことを確認して、僕も家に入った。

「ただいま、もこもこの散歩に行ってきたよ」と言って扉を開けると、「おかえりー。こっちに来て手を洗いなさい。もうすぐ夕飯だから」と台所の方から、おとうさんの声と一緒に良い匂いがしてくる。今日の夕飯はきっとシチューだ。僕は白いシチューが大好き。茶色いシチューより白いシチューが好き。この匂いは白いシチューだ。僕は嬉しくて台所まで急いだ。
「ねぇねぇおとうさん、今日の夕飯は白いシチュー?」
 湯気の立つ鍋の中身を覗こうと爪先立ちするけどかろうじて鍋の高さが勝っていて、中が見えない。
「そう、白いシチューよ。ほら、早く手を洗いなさい」
「はーい」言われた通りに手をジャブジャブと洗って、木でできたテーブルにお皿を並べた。今日の夕飯は白いシチューとライ麦パンと茹でた野菜だ。一式並べ終わると、シチューもできたらしく、お皿に白いシチューが並々と盛られた。僕とおとうさんはテーブルを挟んで面と向かって座り、神様にお祈りをしてから夕飯を食べ始めた。もちろん僕は神様なんて非科学的なものは信じてないけど、お祈りだけはちゃんとする。これは神様じゃなくて、野菜を育ててくれた人への感謝の祈りだと、僕は思ってる。

 感謝をすばやくすませ、湯気の立つ白いシチューを一口食べる。とろりと甘い味が口いっぱいに広がる。白いシチューはおいしい。
 一方、温野菜を黙々と食べるおとうさんはやっぱりうさぎのように見えて、何だかおかしい。白いうさぎのようなおとうさんが僕の視線に気づいたのか、野菜を食べる手を休めた。
「どうかしたの?そういえばウィーゼルに扉の修理頼めた?」
「ううん、何でも無い。オッサンは明日修理に来るって。何だか悲壮な感じだったよ。また壊れたのかって」
「この小屋もガタが来てるのかしら。まだ10年ちょっとしか住んでないのに」
 まだ10年と言っても、僕らが住み始めて10年という意味で、おとうさんと僕が住み始める前には、他の誰かがここで暮らしていた。だから、本当はもっと長い時間、この小屋はここに存在しているんだから、所々が壊れてもおかしくない。
「でも、オッサンにはちょっと同情するよ。僕だって羊の番を押し付けられてるしさ」
「ウィーゼルは森の番以外は暇なんだし、フェズだって毎日何もすべきことが無いなんてつまらないでしょ?人が生きていくには、一見面倒な役割ってのが必要なのよ。それに、フェズには羊が必要だと思うのよ」
 うふふっとおとうさんは笑っておとうさんはまた意味不明なことを言う。

「僕には羊なんていらないよ。僕あいつら嫌いだもん。どうしておとうさんがあんなの飼ってるのか理解不能だよ」
「あら?他人を理解するのなんて永遠に不可能よ。まだまだお子様ね、フェズは」
 またうふふっと笑って僕の髪の毛がぐしゃぐしゃになるほど頭を撫でた。いつもそう、おとうさんは僕の頭を撫でたがる。
「僕、もうすぐ14歳だよ?子どもじゃないよ。羊なんて要らないよ、あんなみじめな生き物居ないじゃない」
「んー、そういう風にしか思えないフェズはまだまだお子様ってことね」と言うと、おとうさんはうふふっと笑って僕の頭を撫で始めた。おとうさんはいつでも酔っ払ったような行動をするけど、お酒なんか飲んでない。素面で酔った性格の人のっていうのは、本当に居るらしい。
「じゃぁ、羊には何か役に立つことがあるの?搾取される以外にさ」と尋ねると、「あるわよ、でっかい野望がね」と即答された。
 やっぱりおとうさんは理由があって羊を飼っていたってことなのかな…?
「な…何それ?」
 と聞くと、おとうさんはまたうふふっと笑って、長い髪を弄りながら「どうしよっかなー」ともったいぶった。
「ヒントはぁ、反芻動物ってことと、第一の胃かしら」また、うふふ、と笑いながら、僕がどう言う反応を示すか楽しんでるようだ。
「もったいぶらないでよ。反芻動物って…蹄のある動物ってことが関係してるの…?」
「そうよー。反芻動物で胃って言ったら、微生物って連想すると思うんだけどなぁ」

 できないってば。おとうさんの脳内連鎖と僕の脳内連鎖を一緒にしないでほしい。そんな僕のことなんかお構いなしにおとうさんは話しを続ける。
「反芻動物の胃には特定の微生物が寄生するのよ。その微生物は反芻動物の胃袋で繁殖して、水素をメタンガスに変換するの。で、羊はそれをげっぷにして体外に出すのよ」
 微生物とか、メタンガスとか、更にはげっぷとか、どうして食事中に汚い話しをするんだろう。とか思うけど、おとうさんにとってこういう話しは汚い話しじゃなくて、生命の神秘の一部なんだろう。
「メタンガス…別に大した問題じゃないと思うけど」
 メタンガスは有機物が発酵すれば自然と発生するような気体。それと羊がどう関係しているというのだろう。一度、おとうさんの頭の中を覗いてみたい。きっと、理解不可能だろうけど。
「一匹だけならね。でも羊は群れるでしょ?だから、膨大な量のメタンガスになってある国で問題になったのよ。その国は人間より羊の数が多い国で、その国から排出されるメタンガスのほとんどの原因が反芻動物だったのよ。メタンガスが大量排出されるってことの意味は判るでしょ?」
「オゾン層の破壊だよね」
「そう、オゾン層を破壊して、温暖化をもたらすわ。人は羊を自分達が生きるために便利な家畜として育ていて、羊は従順に毛を刈られたりしていた。だけど、羊はお腹の中では虎視眈々と人間の住む環境を脅かしていたってことね。だから、羊を飼ってるのよ」

 羊が毎日メタンガスを出し続けて、地球滅亡を企ててる。僕が思いもしなかったようなことを、羊はやろうとしていたってこと?毎日毎日めぇめぇ鳴いて、草を貪るだけと思っていた羊が、惨めに群れているだけの生き物が、そんなスケールの大きいことを?
 その日、僕は中々寝つくことができなかった。羊がちょっと怖い存在ってことが判ったってこともあるけど、それ以上に、新しい疑問が浮上したから。
 どうしておとうさんはそんな羊を飼っているんだろう。「だから、羊を飼ってるのよ」って、どうして?
 結局、肝心なところを上手くかわされたような気がした。
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Psyche2---オッサンとぼく

 小屋から獣道を歩いていけば、ちょっとした野原や泉や巨木がある。巨木は精霊樹って呼ばれていて、樹の根元には、精霊の死骸だっていう石のようなものがある。そう言われて見てみると、確かに人の形をしていないこともないし、毎年雪が溶け始めるのは、いつもその石の周辺からだ。もしかしたら、本当に何かの精霊の死骸なのかも知れないと時々思うこともあるけど、この世に精霊なんて非科学的なものは存在しないんだから、そんなことはあり得ない。

 獣道を辿って、一つ目の分かれ道を右に進んでいくと、羊を放すのにちょうど良い草原に辿りつく。今の季節は紫色のヒースの花が咲く。ヒースの花は羊が好んで食べるから、いつもそこで羊を適当に野放しにしておく。
「ほら、もこもこ、さっさと草を食べてきなよ」
 僕がそう言う前に羊たちは黙々と草を食べていた。
 何も考えてないのかな。そもそも、大して役にもたたないような生き物を、どうしておとうさんは飼いたがるんだろう。

「僕だったら、トラとかシャチとかライオンのほうがいいのにな。強そうだし。カッコイイし」

 野原にごろんと寝転がり、空を見上げて一人呟く。見上げた空には羊雲がもこもこと群れるように流れていた。空にまで羊が居るなんて、何て嫌な季節だろう。
「そういうフェズはネコ科の動物の遺伝子が入っているんじゃないのかい?」
 僕の視界を遮るように、黒い獣が視界に飛び込んできた。その獣は黒い毛に覆われた狼のようだけど、二足歩行をしている上に、ハーフパンツをはいている。
「なんだ、オッサンかぁ。僕の遺伝子はネコじゃないよ。多分。きっと狼とかだよ。」
 僕はネコとか言われてちょっとムッとした。失礼しちゃうよ、ネコだなんて。でも、それも否定できない。ネコかもしれないし、もっと妙な動物の遺伝子かもしれない。そう考えると、ゾッとする。僕は頭をよぎる嫌な予感を振り払うように喋った。
「それにしても、こんなとこで何してるの?あ、そうそう、おとうさんが小屋の扉を修理してって言ってたよ」

 ちなみに、オッサンことウィーゼルは遺伝子操作で生まれた獣。僕と同じで、本来は存在しえない存在。見た目は獣だけど、知能は成人した人間並で、羞恥心もあるのか、いつもハーフパンツをはいている。でも、悲しいかな、それは微妙にステテコに見える。喋り方がオッサン臭くて説教好きだから、僕はオッサンって呼んでる。もちろん、オッサン自身はこの呼び名を気に入ってはいない。
「森が気になって、警備を兼ねて散歩をな。博士に呼び出される以外は暇なんでね。それにしてもまた壊れたのか。あの小屋も相当ガタがきてるな。私を呼びつけずとも、博士が修理すれば良いものを…」
 オッサンはブツブツと文句を言っているけど、それも仕方が無い。つい2日前に窓の立て付けが悪くなってオッサンを呼びつけて直したところで、さらにその2日前はテーブルの足が折れたからオッサンに直してらった。オッサンはおとうさん専属の修理屋といったところだ。
「おとうさんがそんな面倒臭いことやると思う?」と僕が言うと、オッサンは「思えないな」とため息まじりに答えた。
 深くため息をするオッサンを見ると、ちょっと同情する。オッサンはおとうさんのそういうトコロの一番の被害者だから、仕方がない。羊の散歩係りに関しては僕も被害者だけど。

 そんな僕とオッサンのため息をよそに、羊は相変わらず草を貪り続けている。いつか自分たちが食べられる運命にあるというのに暢気な生き物だ。羊を見ていると腹が立って、思わず眉間に深い皺ができる。僕の眉間の皺をみたオッサンは何かを思い出したように「なるほど」と手をたたいた。
「フェズは羊が嫌いだったんだな」
「…今ごろ思い出したの?おとうさんに言われなきゃ、こいつらの散歩なんかしないよ」
 僕はヒースの花の絨毯でごろんと寝返りをした。ヒースの花の匂いはおとうさんの匂いと同じ匂いがする。そういえば、おとうさんはヒースの花の香水を使ってたっけ。

「博士が興味の無いモノを飼うと思うか?あの博士だからな、羊を飼う理由も何かあるのだろうよ」
 そういえば、理由なんて聞いたことが無かった。いつもおとうさんの理由は僕には理解できないから、いつからか聞かなくなっていた。
 そう、はじめて疑問に思って理由を聞いたのは、どうしておとうさんのことを「おとうさん」って呼ばなきゃいけないのかってこと。何で「おかあさん」って読んじゃいけないのかって聞いたら、「私はただフェズを作っただけで、責任を負いたくないからよ」って言われた。どれだけ考えてみても、僕にはその意味がよく判らない。おとうさんの言うことを理解するには、僕はまだ経験が足りないらしい。

 街から離れた場所に住む理由も聞いてみたことがある。僕だって町で暮らしてみたかったから。ここから一番近くて大きな街は、ゴールウェイっていう街。僕も耳を隠すために帽子を深くかぶって、尻尾を隠して、街に買いに行くことがある。おとうさんの実験に必要なものや、生活に必要なものは、人里離れた場所じゃ手に入らないから。
 街には、道で歌を歌っている人もいるし、楽器で演奏している人もいる。歌を歌って踊るっていうのは、とても楽しいことで、それは一人で歌うより、みんなで歌うほうが、もっと楽しいってのは、見ていてもわかる。だって、街の人は楽しそうに歌って踊ってるから。
 街っていうところは、いろんな人が居て、いろんな物がある楽しい場所だ。なのに、何で一緒に歌って踊ってくれる人も居ない寂しい場所に住むのか聞いてみたけど、「フェズと街で暮らすのは大変だし、ずっと自分の正体を隠して生きていくなんて辛いでしょう?」って言った。「本当にそれだけ?」と僕がしつこく聞くと「…誰も私を知らない場所の方が、私を見つけやすいでしょ?」っておとうさんは答えた。その時のおとうさんの表情は、どこか悲しそうで、僕は聞いちゃいけないことを聞いてしまったこと思った。

 もし、羊を飼っている理由を聞いても「もこもこしてるからよ」とか「食べたらおいしいでしょ」とか言われるのが関の山だろうし、もし、本当の理由があったとして、またおとうさんがあんな顔をするくらいなら、僕は知らないままで良いと思ってる。
 僕のそんな考えを見ぬいたのかオッサンは「聞いてみる価値はあると思うが?」と言う。
「じゃぁ、オッサンはどういう理由だと思うわけ?」
 と聞いていると、オッサンはうーむ、と暫く考えてから口を開いた。
「博士がどういった見解をお持ちか、私には計り兼ねるが、私の見解としては、羊というものはとても役に立つ。毛は糸になるし、乳も出すし、食べれるしな。それに、こういった手入れのされていない森林においては、木の立ち枯れ防止にも役に立っていると思うな。だから、博士が森で羊を飼うことに関しては有益なのではないかな?」

 長々と喋ったオッサンは、僕の反応を待っているようだ。「オッサンの答えって、いつも長くてつまんないよね」と僕が言うと、ちょっとガッカリしたようだった。オッサンの言っていることは確かにそうなんだけど、僕が欲しかった答えはそういう答えじゃない。
「うむ、博士の考えていることは私の考えとは違ってとうぜんだろうからな。博士に直接聞くのが一番だろうな。しかし、答えを手っ取り早く人に聞くばかりでは…」
「あー、はいはい、自分でちゃんと考えなきゃダメなんだよね。でも、時には人に意見を求めるのはコミュニケーションにとって重要だし、相互理解の第一歩。だよね?」と僕はオッサンの説教を遮ると「もう日が暮れるから、家に帰らないといけないや」と羊を集めて小屋に帰る準備をした。オッサンの説教はいつも長くていつ終わるかもわからない。無理やりにでも話しを中断させないと日が暮れたうえに朝日も昇りそうだ。
「うむ、判っているなら良いが。確かに、そろそろ帰らないと博士が心配するぞ」
「まっすぐ家に帰るよ。じゃぁね」と言い、僕は羊を連れて夕陽に染まった草原をおとうさんが待っている家に向かって歩きはじめた。
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