ヘミソフィア

補完ブログ

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Psyche2---オッサンとぼく

 小屋から獣道を歩いていけば、ちょっとした野原や泉や巨木がある。巨木は精霊樹って呼ばれていて、樹の根元には、精霊の死骸だっていう石のようなものがある。そう言われて見てみると、確かに人の形をしていないこともないし、毎年雪が溶け始めるのは、いつもその石の周辺からだ。もしかしたら、本当に何かの精霊の死骸なのかも知れないと時々思うこともあるけど、この世に精霊なんて非科学的なものは存在しないんだから、そんなことはあり得ない。

 獣道を辿って、一つ目の分かれ道を右に進んでいくと、羊を放すのにちょうど良い草原に辿りつく。今の季節は紫色のヒースの花が咲く。ヒースの花は羊が好んで食べるから、いつもそこで羊を適当に野放しにしておく。
「ほら、もこもこ、さっさと草を食べてきなよ」
 僕がそう言う前に羊たちは黙々と草を食べていた。
 何も考えてないのかな。そもそも、大して役にもたたないような生き物を、どうしておとうさんは飼いたがるんだろう。

「僕だったら、トラとかシャチとかライオンのほうがいいのにな。強そうだし。カッコイイし」

 野原にごろんと寝転がり、空を見上げて一人呟く。見上げた空には羊雲がもこもこと群れるように流れていた。空にまで羊が居るなんて、何て嫌な季節だろう。
「そういうフェズはネコ科の動物の遺伝子が入っているんじゃないのかい?」
 僕の視界を遮るように、黒い獣が視界に飛び込んできた。その獣は黒い毛に覆われた狼のようだけど、二足歩行をしている上に、ハーフパンツをはいている。
「なんだ、オッサンかぁ。僕の遺伝子はネコじゃないよ。多分。きっと狼とかだよ。」
 僕はネコとか言われてちょっとムッとした。失礼しちゃうよ、ネコだなんて。でも、それも否定できない。ネコかもしれないし、もっと妙な動物の遺伝子かもしれない。そう考えると、ゾッとする。僕は頭をよぎる嫌な予感を振り払うように喋った。
「それにしても、こんなとこで何してるの?あ、そうそう、おとうさんが小屋の扉を修理してって言ってたよ」

 ちなみに、オッサンことウィーゼルは遺伝子操作で生まれた獣。僕と同じで、本来は存在しえない存在。見た目は獣だけど、知能は成人した人間並で、羞恥心もあるのか、いつもハーフパンツをはいている。でも、悲しいかな、それは微妙にステテコに見える。喋り方がオッサン臭くて説教好きだから、僕はオッサンって呼んでる。もちろん、オッサン自身はこの呼び名を気に入ってはいない。
「森が気になって、警備を兼ねて散歩をな。博士に呼び出される以外は暇なんでね。それにしてもまた壊れたのか。あの小屋も相当ガタがきてるな。私を呼びつけずとも、博士が修理すれば良いものを…」
 オッサンはブツブツと文句を言っているけど、それも仕方が無い。つい2日前に窓の立て付けが悪くなってオッサンを呼びつけて直したところで、さらにその2日前はテーブルの足が折れたからオッサンに直してらった。オッサンはおとうさん専属の修理屋といったところだ。
「おとうさんがそんな面倒臭いことやると思う?」と僕が言うと、オッサンは「思えないな」とため息まじりに答えた。
 深くため息をするオッサンを見ると、ちょっと同情する。オッサンはおとうさんのそういうトコロの一番の被害者だから、仕方がない。羊の散歩係りに関しては僕も被害者だけど。

 そんな僕とオッサンのため息をよそに、羊は相変わらず草を貪り続けている。いつか自分たちが食べられる運命にあるというのに暢気な生き物だ。羊を見ていると腹が立って、思わず眉間に深い皺ができる。僕の眉間の皺をみたオッサンは何かを思い出したように「なるほど」と手をたたいた。
「フェズは羊が嫌いだったんだな」
「…今ごろ思い出したの?おとうさんに言われなきゃ、こいつらの散歩なんかしないよ」
 僕はヒースの花の絨毯でごろんと寝返りをした。ヒースの花の匂いはおとうさんの匂いと同じ匂いがする。そういえば、おとうさんはヒースの花の香水を使ってたっけ。

「博士が興味の無いモノを飼うと思うか?あの博士だからな、羊を飼う理由も何かあるのだろうよ」
 そういえば、理由なんて聞いたことが無かった。いつもおとうさんの理由は僕には理解できないから、いつからか聞かなくなっていた。
 そう、はじめて疑問に思って理由を聞いたのは、どうしておとうさんのことを「おとうさん」って呼ばなきゃいけないのかってこと。何で「おかあさん」って読んじゃいけないのかって聞いたら、「私はただフェズを作っただけで、責任を負いたくないからよ」って言われた。どれだけ考えてみても、僕にはその意味がよく判らない。おとうさんの言うことを理解するには、僕はまだ経験が足りないらしい。

 街から離れた場所に住む理由も聞いてみたことがある。僕だって町で暮らしてみたかったから。ここから一番近くて大きな街は、ゴールウェイっていう街。僕も耳を隠すために帽子を深くかぶって、尻尾を隠して、街に買いに行くことがある。おとうさんの実験に必要なものや、生活に必要なものは、人里離れた場所じゃ手に入らないから。
 街には、道で歌を歌っている人もいるし、楽器で演奏している人もいる。歌を歌って踊るっていうのは、とても楽しいことで、それは一人で歌うより、みんなで歌うほうが、もっと楽しいってのは、見ていてもわかる。だって、街の人は楽しそうに歌って踊ってるから。
 街っていうところは、いろんな人が居て、いろんな物がある楽しい場所だ。なのに、何で一緒に歌って踊ってくれる人も居ない寂しい場所に住むのか聞いてみたけど、「フェズと街で暮らすのは大変だし、ずっと自分の正体を隠して生きていくなんて辛いでしょう?」って言った。「本当にそれだけ?」と僕がしつこく聞くと「…誰も私を知らない場所の方が、私を見つけやすいでしょ?」っておとうさんは答えた。その時のおとうさんの表情は、どこか悲しそうで、僕は聞いちゃいけないことを聞いてしまったこと思った。

 もし、羊を飼っている理由を聞いても「もこもこしてるからよ」とか「食べたらおいしいでしょ」とか言われるのが関の山だろうし、もし、本当の理由があったとして、またおとうさんがあんな顔をするくらいなら、僕は知らないままで良いと思ってる。
 僕のそんな考えを見ぬいたのかオッサンは「聞いてみる価値はあると思うが?」と言う。
「じゃぁ、オッサンはどういう理由だと思うわけ?」
 と聞いていると、オッサンはうーむ、と暫く考えてから口を開いた。
「博士がどういった見解をお持ちか、私には計り兼ねるが、私の見解としては、羊というものはとても役に立つ。毛は糸になるし、乳も出すし、食べれるしな。それに、こういった手入れのされていない森林においては、木の立ち枯れ防止にも役に立っていると思うな。だから、博士が森で羊を飼うことに関しては有益なのではないかな?」

 長々と喋ったオッサンは、僕の反応を待っているようだ。「オッサンの答えって、いつも長くてつまんないよね」と僕が言うと、ちょっとガッカリしたようだった。オッサンの言っていることは確かにそうなんだけど、僕が欲しかった答えはそういう答えじゃない。
「うむ、博士の考えていることは私の考えとは違ってとうぜんだろうからな。博士に直接聞くのが一番だろうな。しかし、答えを手っ取り早く人に聞くばかりでは…」
「あー、はいはい、自分でちゃんと考えなきゃダメなんだよね。でも、時には人に意見を求めるのはコミュニケーションにとって重要だし、相互理解の第一歩。だよね?」と僕はオッサンの説教を遮ると「もう日が暮れるから、家に帰らないといけないや」と羊を集めて小屋に帰る準備をした。オッサンの説教はいつも長くていつ終わるかもわからない。無理やりにでも話しを中断させないと日が暮れたうえに朝日も昇りそうだ。
「うむ、判っているなら良いが。確かに、そろそろ帰らないと博士が心配するぞ」
「まっすぐ家に帰るよ。じゃぁね」と言い、僕は羊を連れて夕陽に染まった草原をおとうさんが待っている家に向かって歩きはじめた。
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